毒親育ちの子育て&本当の話

毒親育ちですが、幸せに子育て中。

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学校でだけ話せない!場面緘黙症のせいで暗黒の子供時代

こんにちは、チャコです。

普段からパソコンやスマホを使っているところにこのブログ。

目がショボショボしています。画面の見過ぎですかね。

1日中、パソコンの前で作業する事務員の仕事はもうできないかも。

目指してないし、スキルと年齢で雇ってもらえないので心配無用ですけどね。

とりあえず、目薬でも買ってきますわ。

 

場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)

話すことができず地獄だった幼児時代

私、今振り返ると物心ついたときには、場面緘黙症でした。

場面緘黙症とは、

場面緘黙症は幼稚園や学校といった「場所」、授業中などの「場面」、「特定の人」と一緒にいるときなど、限られた状況で話すことができない症状。

とのことです。

病院で診断されたわけでもなく、過去の話なので、もしかしたら私は場面緘黙でない可能性もありますが、子供時代が暗黒時代になる程度には上の症状が出ていました。

今では、ネットで検索すれば一瞬で出てきますが、当時はそんな症状があることも知られておらず(?)、非常に辛い思いをしていました。

口を開いても、パクパクするだけで言葉が出てこない状況は恐怖です。

頑張って頑張って、涙ながらに「ごめんなさい」と絞り出すのがやっとでした。

大人になってから一時期再発しましたが、まるで魔法にかけられたかのような異様な状態で、自分でも驚きました。幼い子供が一人で背負うには、重すぎる症状です。

家では普通におしゃべりだったので、親や担任からも、

「この子はわざと話をしないんだ。なんて性格の悪い子なんだ。」

と思われていました。

話すことができない子供でしたので、記憶に残る保育園の年中の時にはイジメられていました。断片的な記憶から、年少でもイジメられていたと思います。

(年中の時、年少の子たちに嫌がらせされたので、意地悪な子は3歳でも意地悪です。)

しゃべらない、異常におどおどした暗い子供・・・

いじめられっこのサラブレッドみたいな子でしたので、そりゃあ、いじめたくなるでしょうね。無抵抗で、何をされても「自分が悪い」と思ってくれる子でしたから。

存在するだけで嫌われるレベルです。

母からも、

 

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よく言われていました。

よく泣きながら謝ってましたが、

「生まれてきてすみません。生きていてすみません。」

と思いながら謝っていたんだと思います。こんなこと言われ続けたら、そう思うしかないですよね?

 

幼い頃は、前にいた場所にずっと帰りたいと思っていました。(あの世的な場所です)

これは、全部悪い夢で、すぐにでも目が覚める・・・早く眼をさまして「酷い夢をみた」と笑い話にしたい・・・と。

そんなこと考えながら、光の玉や空をずっと見つめ続ける子供だったので、さぞかし気持ち悪かったことでしょう。今でも帰りたくって仕方ありませんけどね。

(スピリチュアル的な感じですが、物心つく前に生きるの無理と思っての逃避かもです。そこに関する爆弾ネタももちろん持ってます、はい。)

 

仙台いじめ無理心中の娘さんが、小学2年生で「しにたい」と書き残したことに、

「小学2年がそんなこと思うか?」

とコメント書いてる人がわりかし多かったですが、

小学2年生のころの私は、1日の8割はどうやったら生きるの終われるか考えてましたよ?

洗濯干しの棒で重みに耐えきれるか、縄はどうしたらいいのか、あのビルの屋上にはどうやって行けばいいのか・・・フェンス・・・乗り越えられない・・・

トラックもいいけど、トラックが速い速度で走っている場所にはどうやって行くんだ?

むしろ、いつでも終わらせることができるという希望が、生きる力になっていました。

ある意味、私に子供時代はなかったんだと思います。

おかげさんで、いまだに大人のふりをした子供のままです。

場面緘黙がほぼ治ったのは

場面緘黙、すごい残念な治り方ですが・・・

生きるの終了できなかったから治りました。これだと思います。

親にいじめられ、クラスメイトにいじめられ、担任はイジメのリーダー。味方ナシどころか、敵しかいない。

担任主導のイジメのストレスで、肺炎になって死にかけて長期間寝込んだことも担任に責められました。これもターニングポイントになりました。

人は、死にそうになっても誰も助けてくれない。それどころか責めたててくる・・・というダメな方向の意識改革で。

子供ゆえ、自分で終わらすことができなかった。

ならば、生きるしかない。

ここで、生きていくしかない。

全て夢だとしても、この夢は終わるのを待つには長すぎる。

2年生のどのあたりでそう思ったのかわかりませんが、あの辺で意識がかわったのは確かです。

 

小学2年生から3年生になる頃には、場面緘黙症は8割治っていました。

生きるうえで場面緘黙症は不利である、と無意識が認識したからだと思います。

この戦略では、サバイバルできない、と。

 

が、そこから人生が好転することもなく、親もあいかわらず、暗い子が少し話せるようになったぐらいじゃ周囲も変わらない。現実とは、冷たいものです。

周囲は相変わらずでしたが、場面緘黙症を自力で直すことにより、子供の時の暗黒時代を終了させることができました。

といっても暗黒時代のあとは、別の地獄が待ってましたがねーー・・・

当時は自分のことを、親に言われるままに、落ちこぼれの出来損ないとしか思っていませんでした。

が、

小さな自分、本当に頑張った!凄い頑張った!!

ありがとう、過去のわたし!です。

過去の私のサバイバルのおかげで、今の幸せな私があるのです。

一生懸命生きてくれた自分、ありがとう!心の底から感謝します。

 

場面緘黙症は、今では治す方法も色々あるようです。

過酷な状況でサバイバルするよりも、親の愛を支えに治したほうが絶対いいです。

話せないのは、ワザとでも嫌がらせでもありません。心の風邪の一つです。

きっかけは、人によってそれぞれです。私の文章で、変な偏見持たないで下さいね。

 

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