こんにちは、チャコです。
ちょっと前まで寒かったのに、暑くなってきましたね!
この話から続いています。
私的には、なかなか衝撃的な出来事でした。
毒親育ちあるあるの、自分の認知の歪みや自分と他人の区別がついていないこと等に気がつくことができたので、結果的にはよかったのですが、当時は地獄でした。
とりあえず、今回で最終回です。
影のボスママ(カチューシャママ)と盾のボスママ、ネタ的には、まだまだいっぱいあるので、これからも小出しでUPしていく予定です。
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「罪悪感のない人」を理解しなくてもいい
影のボスママさんですが、影ボスさんが一人で、こちらが複数(家族含む)でいる時に出会った場合は、大変大人しかったです。
大人しいというか・・・「ええええぇぇぇぇぇえぇぇ?」な反応でした。
同じマンション内に住んでいて、うちのほうが高層階だったので、エレベーターで出会ってもおかしくないのですが、鉢合わせすることはありませんでした。
ただし、子供の友達の家の階から乗ると高頻度で遭遇しましたので、うちの階で止まったエレベーターには乗らないようにしてたんじゃないかな?
うっかり鉢合わせたときですが、こちらが挨拶をしても完全無視です。
さらに・・・
どういう思考回路なのでしょうか?
モラハラをする人は、自分こそが被害者だと思うそうです。
うちの母も、悲劇のヒロインなので、そこのところはよくわかります。
「おまえのせいで、私の人生は台無しだ!」
とぶん殴られて育ったので、モラハラ気質の人が自分こそ被害者と思っていても納得です。
また、ある時は、
大勢(家族含む)対大勢だと、
「私は、あなたになんか負けない!!」(北島マヤ風)
ブルブル震えながらも、少女漫画の主人公のような決意に満ち溢れた表情で睨んできたり・・・
(でも、こちらが挨拶しても無視)
もう、
何を見せられているんだ!?
な心境です。
演技派入りすぎです。
ブログと本人と怒り狂った時・・・多重人格なのかなぁとさえ思います。
どう見ても演技なので、多重人格ではないでしょうけどね。
こちらが心労で原因不明の病気で入院し、退院して帰ってきたときは、
二ヤニヤ笑いながら遠くで見ていたり・・・
あそこまで他人の不幸をニヤニヤ笑いながら見てくる人も珍しいです。
そんな体験をして、
「ああ、この人は、罪悪感というものが全くないんだな・・・」
そして、
「この人は、同じ世界で生きているようにみえて、別の世界で生きているのだな」
だから、
「わかりあえることもないし、わからなくても仕方ないんだ」
と思いました。
なぜなら、目の前にいる私をみているわけでもないのだから。
目の前にいるのに「存在しない私」のほうに攻撃をしてくる。
的になってる存在してる私の方は激しく傷ついているのだけど、相手は「存在しない」方を見ているから、攻撃が足りないぐらいに思っちゃうのかな?
私を見ているようで、私をみていない。
見ていないのだから、私がどんな努力をしても相手には伝わらないんです。
母に責められて、こちらに非がなくても反省していました。
母の言いなりに生きてきました。
いつか、母に認められたい。愛されたい。
そんな思いを他人にも採用していました。
他人に気に入られたい。
知らない人でも嫌いになってほしくない。
そんな自分のない人形だからこそ、モラハラ気質の人に鏡として自己投影されてしまうんですね。
自分の今までの生き方が間違っていることに気がつけたことは、あのママ友イジメも無駄でなかったと思います。
他人はわかってくれなくって当然。
反対に、自分も相手をわからなくてOK!
それでも、自分のことをわかってくれようとしてくれる人は、大切にしたいです。
理解できなくても、理解しようとしてくれる人は宝です。
他人をわかろうとするのは、私の勝手。
見返りを期待するのがおかしかったんです。
人が何を考え、生きているのか・・・・それは興味深いです。
「他人のために」ではなく、「自分のために」、相手の気持ちをわかるよう、努力していきたいです。
それでも、
「罪悪感のない人」は、理解しなくてもいいですからね。
わかるわけがないし、わかるようでは危険です。
カチューシャママのことをわかろうと努力しました。
その結果答えは、
「罪悪感のない人」は、理解しなくてもいい
です。
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