こんにちは、チャコです。
毒親ネタは、精神病みますね。
パソコンといえば、パソコンを買う前から苦労させられていました。
前回のパソコン記事のリンクを貼っておきますね。
就職活動をしている頃は、まだWi-Fiが存在しませんでした。
当時のことはよくわかりませんが、我が家では電話線を使うので、ネットをしている間は、電話が通話中になり、電話が使えませんでした。
そして、自分がよくわからないものは基本禁止の母によって、携帯電話は原則禁止。
そもそも、履歴書の連絡先には、携帯電話ではなく、家の固定電話を書くのが主流でした。(少なくとも私はそう、思い込んでいました。)
というわけで、就職試験の結果や連絡がいつ来てもおかしくないので、電話が気になって仕方ありませんでした。
家の固定電話なので、平日の昼間にかかってくるよりは、夕方から夜の早い時間だろうと考え、電話の前で待機している毎日でした。
その頃、父は6時半には家に帰ってきていました。
そして、ずっとネットにつなぎっぱなし!
当時は、ネットにつながっている間は、相手がどれだけ電話をかけても話し中です。
大事な電話がかかってくるかもしれない、だからお願いだから、早い時間にネットするのはやめてほしい、と泣きながらお願いしても、
「やってない」
と言いつつやり続ける父でした。
「お前なんか、だれも雇ってくれないから電話なんてかかってくるか!」
という主張でネットを続ける父でした。
ネットをやり続けるのは、たんなる遊びです。
娘の将来より、遊びのほうが大切なんですよね・・・
夜に電話なんてかかってこないって?
最終的に、夜の11時頃にかかってきた電話で、常勤講師の口を得ることができたので、電話にいつでも出られるようにしておいたほうがいいのは間違いありません。
今は、知りませんけどね。
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一度、仕事の話で電話があったそうです。
それを何かの拍子に父が思い出しました。
「そういえば、半年ぐらい前に電話あったぞ。仕事のことで折り返し電話してほしいって。」
半年前!!
てっきりご縁がなくなったと思っていた会社でした。
当時は、連絡がないのが不合格という会社ばかりでした。お祈りメールなんて親切なものなかったよ。
「なんで言ってくれなかったの!?もう遅いよ!!!半年前じゃ、今更電話しても意味不明だよ!!!他の人に決まっているよ!!!」
泣きながら抗議しました。仕事はきついけど、気にいっていた会社だったからです。
絶望して泣く娘に父は、
散々邪魔しておいて、
「おまえが悪い」
と正論風に言ってくるのが毒親です。
あながち間違えてもないので、心えぐられます。
就職氷河期で、普通に活動しても厳しいのに、両親そろって妨害。
結果、正社員になることもできなかった私を、
「穀潰し!!早く死んでほしい」
と馬鹿にしつづけました。母は、同時に暴力もふるってきました。
無職になるよう夫婦そろって頑張っていました。頑張ったというか、生き生きと楽しそうでした。
私の人生を妨害するときだけは、夫婦の息ピッタリでしたね。
子供には無職になって一生サンドバックとして生きてほしい・・・
それが両親の願いで、30歳すぎたら自殺して、生命保険ガッポリが最高だったんでしょうね。(常に母がそんな青写真を描いてました)
毒親育ちなのに逃げられないのは、生れた時から妨害されているから。
そんな様子を赤の他人は、
「親にも何か理由があったんだよ。悪く言うのはよくないよ。今まで育ててもらったんだから、感謝しなよ。」
と非難するので、自分がおかしいと思ってましたが、親となった今、
親がおかしかった!
と言いたいです。
自分の子供には、絶対あんなことできないですもの。
今思うと、私の味方は誰もいなかったなー・・・と思います。
それでも、いまだに私の両親が一番の味方であるようにも思えます。
DV被害者と同じ思考なんでしょうね。
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