こんにちは、チャコです。
リアルで大変なことになりガックリしていたら、楽しみにしていた話も消えそうで、泣きっ面に蜂状態です。(毒親関係なし)
どうにもならないことはどうにもならないので考えるだけ無駄ですが、まぁ考えますよね、普通。
自分の親が毒親だと気づけなかった理由
洗脳教育
幼少の頃より、
「お母さんは、世界一賢くて美しい。それに引きかえおまえは、落ちこぼれの出来損ない。でも、お母さんは世界一優しいから、大嫌いだけどおまえを育てている。お母さん以外の人なら、とっくにおまえを捨てているはずだ。だから、感謝しろ。」
と言い聞かされて育ったので、お母さんは世界一優しくて賢くて美人だと思っていました。
悪いことは全部私のせいにされることもあり、
「悪いのは私。お母さんが怒るのは私のせい。」
と信じていました。
虐待されている気はありませんでしたが、小学生の頃から虐待関連の話には興味ありました。
虐待された子供が、
「悪いのは私。私が悪い子だから叩かれるのだ。」
と考えることがよくあることだと知っても、
「虐待されてる子供が可哀そう!私は優しいお母さんで良かった!いつか虐待されている子供を助けてあげたいな・・・・」
と明後日のことを考え、完全に別の世界のことだと思っていました。
虐待は別世界の話
「毒になる親」という言葉が出てくる以前は、親が逮捕されるレベルでないと虐待と誰も思わなかった気がします。(あくまで個人的主観)
TVで報道される虐待事件はどれも凄まじく、とんでもなく残酷なイメージでした。
(昔の報道のほうが今より規制がない分、凄かった気がしますが気のせい?子供だったからそう感じただけ?子供の口から内臓出てきた、とか凄い内容を覚えているんだけど)
印象が凄まじすぎて、流石に自分の親を「虐待親」というのは抵抗がある人が多いのじゃないでしょうか?私は抵抗がありますよ。
毒親育ちは、白黒思考。ゼロか百。
あるかなしの世界に生きているので、「虐待はない」として生きていた人が多いのじゃないでしょうか?
あくまでおかしいのは、自分。
それでも蓋をするには問題が大きすぎて苦しかった・・・
そんな時に出会った「毒になる親」は、自分の人生に一条の光がさした気分でした。
問題があるのに、問題がないふりをしなくてもよくなった瞬間でした。
※ 虐待を「毒親」とまろやかに言うことで、言いやすくなったと思っているので、本格的な虐待親を「毒親」呼びするのはどうかと思います。
昭和は暴言と暴力の世界だった
子供の頃好きだったアニメに「あさりちゃん」があります。
ほんわかホームコメディと思って見ていましたが、主人公のあさりちゃんは、
- 姉妹差別
- 母親・姉からの暴言・暴力
- 父はエリートで、空気
と今思うと中々香ばしい設定でした。ギャグ漫画ですけどね。
木にグルグル巻きにされて、逆さ吊りにされ泣き叫ぶあさりちゃん・・・
百叩きを恐れるあさりちゃん・・・
あまり覚えていませんが、
「うちの家族にそっくりで楽しいアニメだな!あさりちゃんのほうが酷いことされてるから、サンゴママが私のお母さんでなくって良かったなぁ」
と思って見ていました。
木から吊るされたり、百叩きされたことは私はありませんでしたので、あそこまで酷くないから大丈夫!という安心感を感じていました。
※ あさりちゃんは、あくまでギャグマンガです。面白いですよ。あまり覚えてないけど・・・
「うる星やつら」(いつもビキニのラムちゃんが出てくるアニメ)の諸星 あたるの母親も、持ちギャグとして
「こんな子産むんじゃなかった!」
とよく言ってましたね・・・
うちの母と同じこと言ってるな、ぐらいの感覚でギャグとして見ていました。
星一徹なんか、今なら児童虐待で即逮捕されそうですけど、当時は誰も虐待アニメとして見てなかったんですよね?(チャコ、若い(笑)から見た記憶がない)
アニメもドラマも今なら完全に訴えられそうな「しごき」や暴言がまかり通っていた時代・・・しかもそれが「いい話」として語られていた時代でした。
今見たら、TVと現実の世界が違うこともわかるけど、子供の頃って目にしたものは全部「そういうものなんだ」と理解しちゃいますから、架空の世界と自分を見比べて、
「ああ、優しいお母さんでよかった!」
と嬉しい気持ちになったものです。
隣の芝は枯れている
リアル世界でも、
「この子の親が、私の親でなくてよかった!」
という場面はたくさんありました。
隣の芝は青いと言いますが、その逆もしかり。
毒親育ちだからか、同じ毒親育ちが集まって来るんですが、みんな凄いんですよね。
ごく普通のどこにでもいる幸せな家族属性のはずなのにね。
だから、
「私程度で辛いって言ってごめんなさい。」
って気持ちになりますよね・・・
他所の毒は、もっと猛毒に見えますから。
そこで思考停止するので、自分の親が毒親なんて考えることもなく、考えること自体無意識に「禁忌」として封印され続けてきた気がします。
自分の親が「毒親」であると気がつけた今、凄く楽になりました。
気がついてからの数年は、本気で体調が悪くて原因不明の派手な症状出まくりで大変でしたけどねー・・・。
自分の親が毒親であることを知るのは、子供に生き辛さを継承させてしまわないためにも重要に思います。
親を毒親だと気がついたからって、恨んだり憎んだりしたいわけでもないんですよね。
むしろ、気がつく前のほうがコロしたくて仕方なかったし。
気づけないより、気がついてからのほうが楽でした。
でも、気づかない方が幸せな人もいるだろうから、どちらが正解かはわかりませんね。
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