こんばんは、チャコです。
遠い国の不幸な子供と違って、恵まれた幸せな子供として育ったチャコ。
恵まれた幸せな子供なのだから我慢しなさいと怒られ続けました。
幸せとは、我慢・忍耐・根性!
幸せなのに不幸と感じるのは己が欠陥品だから。
という、かなり歪んだ幸せな子供時代でした。
高校生の時、はじめて発展途上国に行きました。
発展途上国=貧乏で不幸な人たちの国
とどこかで思っていたので、経済成長中のエネルギッシュで元気で明るい様子は青天の霹靂でした。
全てがカラフルで、人々の表情もカラフル。
当時、学校では、
「無表情なロボット。生きている感じがしない。髪ののびる日本人形みたい。」
と散々な評価だったチャコ。(今思うと、完全に虐待されている子の特徴の気が・・)
そう言われないよう、毎日演技して、表情も声色も全部作って普通になろうとしていました。
母のマリオネットなのに、必死に人間のマネをして好かれようとしていたんですよね。
その結果、マリオネットから愉快なピエロになっただけでしたが・・・気を抜くと心のないロボットと言われました。
心を半分仮死状態にして、何も感じないよう自己防衛していたのかもしれません。その弊害ですね。
そんな状態で訪れた途上国、ハマりました。
嘘偽りない感情で動く彼ら、彼女らのとりこになりました。
「タイタニック」のローズが、ジャックと庶民の暮らしに憧れたかのように。
受験を挟んで、大学生に。
(以下、記憶がだいぶ改竄されています。多分。)
インドに行きました。自由行動の多い、学生向きのツアーでした。(学生ツアーなのに過半数の爺婆が仕切った最悪なツアーでしたが)
そこで初めてカルカッタ(現・コルカタ)に行きました。
当時は、英国時代の古い建物?が、火の七日間後の世界のように腐ってとけてカオス状態。
そこに新しいとはいえないけど、新しいビルが建って、1回終了した後の未来都市みたいでワクワクしました。(すみません、感覚がちょっとおかしいです)
道路には、路上生活者(?)がディズニーのパレード待ちみたいにズラッと座り込んでいました。まるでお茶の間でリラックスしているみたいに。
ディズニーのパレード待ちの日本人が難しい顔しているのに対して、すごく楽しそうに笑いあっていて驚きました。
街を歩くと、肩から両腕と、足の付け根から両足がない人が、お手製の板に車をつけただけの荷台に乗ってひっぱられ、元気よく追っかけてきました。本当に元気よく。
「マニー!マニー!」
と叫んで。物乞いです。悲壮感の塊のはずなのに、悲壮感はありませんでした。
野望に燃えすぎて斜め上を行くユーチューバー的な明るさでした。病んでないほうのね。
もちろん、楽しそうな人ばかりでなく、本気の不幸に飲み込まれている人も見かけましたよ。
真っ直ぐな怒りを、何も語ることなく周囲の空間を歪ますほど膨らませて・・・感情がシャープで驚きました。
あまりの光景に、涙が止まらなくなりました。
他のツアー客が「おまえら目の前の光景見えてる?プラスチックのサンダル漁ってる場合か?」って感じで買い物に夢中だった中、メチャクチャ浮いていましたが、ボロボロ流れ落ちる涙は、自分では止められませんでした。
なぜ、泣いているのか・・・自分でもわかりませんでした。
でも、今ならハッキリわかります。
「この人たちは、ちゃんと生きている」
それが羨ましくて、でも絶対的に不幸な人たちなのに・・・羨ましく思っている自分の心が受け入れられなかった・・・。
自分より下だと思っていた人が、自分よりも上でこちらを気にすることもなく楽しそうに笑っていたことに気がついて・・・羨ましかった。
スポンサーリンク
それからは、私の青い鳥探しが始まりました。
いま、ここにない世界を求め辺境の地へ(でも金ないのでアジア中心)
インド一人旅とか、一人でヒマラヤ山籠もり・・・等々いろいろ。
当時は「一人では何もできない私」と思い込んでいたんですが、「いや、そんなことないから!」と過去の自分に1人ツッコミ入れたくなる程度には、アクティブでした。
毒親がよく許したなって?
母は、私が早く死ぬのが夢だったので旅行に行く前は、保険金が出る正しい死に方を延々と指南するだけでした。
「中途半端は一番駄目!ちゃんと保険金が出るように死になさい。」
とかね。
さらに、
当時、美大生だったチャコ。
旅の風景を描いた作品が有名な絵画展に最年少クラスで入選したり、賞をとったりしていたので、毒母も応援してくれていました。
応援と言うか・・・毒母の目の色変わって、本格的な教育虐待が始まる序章となるのですがね。
次回は、教育虐待でもテーマにしようかしら?
ただの旅行とはいえ、毒母から離れ、自分で考え行動できたのは、その後の人生に大きな影響を与えたと思っています。
一人で飛行機に乗って、一人で外国人が行かないような辺境の地へ行ったり、村人や現地の人と仲良くなって・・・
「世の中には、おまえよりももっと大変な目にあいながらも頑張っている人がいるんだ。」
の大変な人たちは、本当に優しかったです。
それらの体験が、その後の人生を大きく変えたと思っています。
過去の虐待や虐めから、チャコは「日本人」が怖いんですよね。
でも、外国に住んでみて(住んだこともあるよ)、日本人は怖いけど、日本が一番大好きだと気がつきました。
若い頃の旅先の優しさを、日本でも得ることができるように、自分改革中です。
ブログランキングに参加中!ひきこもるのなら日本人は日本が一番!が外国に住んでみて思ったことです。今は、家サイコー!
スポンサーリンク