こんにちは、チャコです。
本ブロのほうが、コロナの影響を受けて(?)PV(アクセス数)ダダ下がりです。
さらに、1件当たりの広告料もダダ下がり・・・
外出自粛がなくならないかぎり、下がる一方でしょう。
アクティブというより、オタクなブログなので当初影響あるとは思いませんでしたが、今ではバリバリ影響あるよね!!って感じです。
パートに出なきゃな感じですが、下の子が中学に入ったらやりたいと思っていた学童は、今や本気の命がけの職場になってもたし、どうしたものか・・・
毒親あるある 病院で取り違えられた子供
前々回の続き。
毒親あるあるというよりは、昭和の親あるある。
「橋の下で拾ってきた子」と双璧をなす「病院で取り違えられた子」。
「おまえは、本当は他所の子なんだ。病院で間違えて取り違えられた。」
と言われた人も多いのじゃないでしょうか?
そして、いつかお金持ちで優しい両親が迎えに来てくれると夢見た人も多いのかも。
特に1985年4月16日から同年10月29日まで、TBS系列で毎週火曜日20:00 - 20:54 に放送された人気ドラマ「乳兄弟」。
この頃に子供だった人は、言われている人多いかも。
他にも実際に取り違えられた人のニュースや漫画もあり、昭和ではある意味一大ジャンルだった気が・・・。
チャコも親にあまりにも言われすぎた影響で、自分の子供が取り違えられたらどうしようと無駄に悩みましたわ。赤ちゃんの頃から、二人共私にそっくりだったので杞憂でしたけどね。
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父の、
「橋の下で拾ってきた子」
は、大泣きしながらも子供心にも、あくまで冗談であるとわかっていましたが、
母の、
「病院で取り違えられた子」
は、ジョークとかそういう類のものじゃないと感じていました。
こんな感じです。
高頻度で言われていました。
これを、
「ちょっとした行き違いで、よくある冗談。親の愛。」
ということにしたがる人がいますが、↗コレを冗談と受け取るには、激しく認知を歪まさない限り難しいですよね。
私は、激しく認知を歪ませて、この状態を愛されていると誤認識していましたけどね。
今思うと、本当に愛されていなし、嫌われていたんだなぁと思います。
この認知の歪みのまんま、外の世界でも生きるので、
意地悪な人=私のことを思ってくれている親切な人
と誤認識して、生きるの大変でした。
優しい人=信用できない恐ろしい人
でしたしね・・・
頑張ったら愛してもらえるかも・・・
で頑張りましたが、頑張ったからって愛してもらえるもんでもないんですよね。
なので頑張るのやめました。
どうにもならないことは、どうにもならないからです。
どうにもならないということを受け入れたら、楽になりましたよ。
頑張りが足らないからダメなんだ!私はやっぱりダメ人間!と自分を責め続けるのをやめるのと同義ですからね。
ずっと、
いらない子
4んでほしい
なぜなら、こんな子供は私の本当の子供であるわけがない
と言われて育ったので、母と似たところがあると本当に嬉しかったです。
「あぁ!やっぱり私はお母さんの子なんだ!」
って。
母は私を嫌っていたと思いますが、私は母が愛しくて恋しくて世界の全てでした。
だから、私は、悲しい。
今も、嫌いという想いよりも、好きなんです。
年をとって、父親に似ていたはずの私の外見は、年々母に似てきました。
顔も声もどんどん似てきました。
それがとても嬉しくて嬉しくて、とても悲しく思います。
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