こんにちは、チャコです。
毒親をメインにブログを書いています。
うちの親、ドラッグストアーの店員を怒鳴りつけるとか、未だにパチンコに行くとか、そういうことは絶対しません。
そもそも、賭け事は一切しませんけどね。平時から、飲み歩くこともないし・・・。
毒親だと思うけど、そういうところは本当にクリーンな優良国民。
赤の他人にすぐにキレるモラルない人、ご家庭内ではどうなのでしょうか?
うちの親よりも凶悪な毒親なんじゃないの?と思っています。
長年、ああいう親の子供じゃなくってよかった!ウチの親はマシだ。
と自分に言い聞かせて生きてきましたが、万が一ああいう人が家庭内では善良な良き夫・良き父なら震えます。
毒親流 不登校の治し方 最悪
前回からの続きです。
記憶にある限り、保育園年少さんから不登校予備軍で、毎朝泣き叫んで登園拒否していましたが、そこから話すと長くなるのでその辺は別の機会にでも。
小学校でも登校拒否予備軍でした。
1年生の担任だったか2年生だか忘れましたが、チャコが全く学校で話さないことについて、話し合いがありました。
こういう時は、子供思いの優しいお母さんを演じる毒母。
母・・・子供のことを一番に考える尊敬すべき立派な優しいお母さん
チャコ・・・周囲を困らせるために話さない頑固で意地の悪い子供、嘘つき
ということで、話がまとまりました。絶望しました。
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うちの母、普段は確かに聖母のように優しいのですが、スイッチが入ると理性のぶっ飛んだ鬼婆。「お茶がほしい」とか日常的なことを言うだけでもスイッチが入るので、チャコの心は常に綱渡り状態でした。母、絶対に境界性パーソナリティ障害か何かだと思います。母との関係が、外の世界での対人恐怖症につながっているはずです。
母は優しい時は、本当に優しくて、特に外では優しいので、チャコは甘やかされすぎた子供ということになっていました。
だからなのか、たんに人間性に問題あるだけなのか、小学2年生の時は、担任主導のイジメにあいました。(虐めの話も長くなるので、別の機会に。)
家で甘やかされすぎた、甘ったれたチャコを厳しくして矯正させよう・・・そんな感じ?ただのストレス解消でしょうけどね。
社会的にも体罰と人格否定を良しとする最後の時代でした。担任は、お婆ちゃん先生なので、戦中・戦後の名残?
「殴ってでも学校に行かす。」
掲示板等で、無責任にコメしている人がいまだに多いですが、母は本当に実践。
もちろん人格否定と怒鳴り散らすはセットでお得状態。
頭がガンガンに痛み、吐きそうな気分の悪さでも学校に行かされました。
不登校あるあるの「朝だけ体調悪い」は、気のせいとかじゃなくって、本気で重病レベル・・・なんですよ。
自分でコントロールもできるわけもなく、謎の体調不良はそれだけで恐怖です。
もし、今そんな症状が出たら、答えが出るまで病院を渡り歩くレベル。
そんな不登校予備軍の子供が学校に行くだけで、令和の今なら褒められそうなものですが、時代は体罰当たり前の昭和。先生、婆ちゃん。
吐きそうで死にそうなチャコを、
「何眠そうな顔をしているんだ!今すぐ顔を洗ってこい!!」
と授業中に怒鳴られたり・・・。実際、顔を洗いに行かされたし。
体調が悪い=たるんでいる証拠
毎日体調が悪いなんてことはあるはずがない!!嘘をついている。
と責められました。
よって、保健室に行っても入室拒否。
「嘘つきを寝かすベットなんてない!!」
そんな感じ。
他の子は、元気そうでもベットに寝かせて貰っても、チャコは途中から入れてももらえなかったな。
保健室登校なんて夢の国の話でしたわ。
ベットで寝なくても、給食頃には自然に治るんだけどね。それがまた嘘ついているように見えるんだろうね。
担任主体の虐めも辛く、毎日の謎の体調不良も聞いてもらえず・・・
毎日体調不調を訴えているので、「狼と少年」状態に。
ずっと死にたい死にたいと思って生きていました。
夏休み1週間前ぐらい、後少しで夏休みだ!嬉しい!!と思っていた頃、更に体調が悪くなりました。
夏なのに寒くて、おかしいと思ったけど、聞いてもらえず。
3日ぐらいその状態で、
「嘘をつくな!やる気がないからそうなるんだ!!」
と登校していたら、本格的に体調を壊して、夏休みの1ヶ月を寝込むはめになりました・・・
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が、
「いつまでもダラダラしているんじゃない!!」
と前日まで熱で寝込んでいたのに登校日も登校。
這いずるように行った学校では、宿題が終わっていないことから、他にも終わっていない子もいたハズなのに、公開処刑に。
自分の席で立ったまま、ずっと泣いていました。
「本当に本当に辛いのに、なぜ誰もわかってくれないんだろう!!!嘘なんてついてないのに!!!」
絶望しました。
絶望のあまり次の日から再び寝込んで、そのまま肺炎になりました。
今思うと、過度のストレスで免疫が落ちて風邪を引いたのに、更にストレスと無理をして肺炎になったのかな?
それ以上に、潜在意識が自分を殺しにはいったとしか思えない。潜在意識って、殺るときはやるからね。
よく覚えてないけど、断片的に肺炎は大変辛かったです。
元気になる頃には、夏休みが残り僅かになっていたのが一番辛い思い出。
余りにも辛すぎて、肺炎を機に意識が変わりました。
それまでは、
早く前にいた場所(あの世的な場所?)に戻りたい、この世界は全て悪夢だ!
とお客さんみたいな気持ちで生きていましたが、
肺炎以降は、
「この世界は、夢だとしても全然終わらない。長すぎる。死ぬこともできないなら、生きるしかない。」
産まれて8年目に、ようやく生きる覚悟ができました。
肺炎になって、死ぬのも辛いって思ったからかな?
それ以降は、学校はずっと大嫌いでしたが、謎の体調不良も収まって、無駄に抵抗しても無駄だし、一見すると不登校症状は消えました。
不登校と言うのは、子供から大人への最大のSOS。
それを潜在意識が取り下げました。
私的には、これ以上ない絶望で、抵抗する力も消え、人形になり果てただけでしたが、
そんな私を大人たちは、
「お母さんが頑張ったから、不登校が治ったね!嘘もつかなくなってよかった!」
と思っていたようです。
未だには母は、
勝ち誇ったように、ドヤ顔で言います。
頑張ってぶん殴って、人格否定し、子供の話を聞かない。
それが立派な子育てと思っているようです。母の子育てに間違いは1ミリもなかったと思っているようです。
だって、不登校にならずに、ちゃんと大きくなったもんね!立派な成功体験だよね!
なぜか子育てに自信を持って、知らん子連れのお母さんにも子育てアドバイスを始めるしまつ・・・
確かに不登校にはなりませんでしたが、ずっと母を56したかった。
自死することを諦めた後は、ずっと母を56すことを心の支えに生きていました。
自覚はありませんでしたが、少年法で守られない年になってからは、自死希望に戻りましたけどね。
寝ている間にバットで滅多打ちにされたくないのなら、人格否定でなく、子供の話を聞いてください。
子供のSOSが狂気に変わる前に。
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