こんにちは、チャコです。
私の母のイメージは、強い人。
絶対に自分の意見を曲げず、こちらが言いなりになるまで、怒鳴りちらす。手も足も出て、暴力万歳。こちらが言いなりにならないなら、どんな手も使う。
あくまで母が正義の味方で、私は成敗されるべき悪人ということで一貫している。ブレない。
これは、私が敵わない相手のイメージでもある。なのでどこに行っても、このタイプの人間にロックオンされてしまう。
そんな母に育てられた私は、自分がない。
「おまえは、我が強い!我儘!!」
(理由・東大に行けないし、ノーベル賞ももらえないから。飛躍しすぎて一般人にはわからないだろうけど、言われすぎて私も東大に行けないのは我儘な気がしていた)
我儘、マイペース、自分勝手!!
そう言われないよう、他人の顔色ばかり窺って「優しい人」と思われるよう頑張っていたら・・・
「生きているだけで迷惑」
と言ってもOKな存在になれた気がする。
何を言ってもやってもOKな存在。
何をしても、自分が悪いと自己完結して謝ってくれるんだから、優秀なサンドバックだ。そりゃあ、モラハラほいほいにもなるわ。
母を見ていると、毒親になるのも努力が必要だと思う。
- 絶対に自分が正しいと思える強い心
- 体力的な力の維持
- 怒鳴り続ける喉の強さ
うちの母のような毒親になるためには、少なくともこの程度は絶対条件。
怒鳴ることはない「真綿で首を締める系毒親」は、才能的な頭脳戦ができるのが絶対条件なので、怒鳴る系よりも素質が重要。
息するように嘘をつくのも、一般人が真似ようと思って真似られるものじゃない。真似られる程度の嘘つきは、3流だ。
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どの世界にも、才能と素質と努力がものいう。
環境のせいで、知らずに人一倍努力を重ねることもあるだろう。
母も努力の人だ。
私が成人し、母が年を取り、私が体力的に勝てるはずの年になった頃から、仕事をやめてスポーツジムに通い出した。
週に5日・・・7日?、フルタイムでスポーツジムに行っていた。
筋肉ムキムキになっていた。
だから、20代の娘の上に馬乗りになってボコることも可能だったのだ。20代の私は、力でさっぱり勝てなかった。
その辺のところは、少し尊敬している。
どうでもいいことを努力させる母だったけど、本人もわけわからん努力をする人だったんだなって今思ったけど。
私は、母のような毒親にはなれない。
常に自分が正しいと思えないし、体力も力もない最弱の存在。加齢のせいか、病気のせいか、普通に話してるだけで声枯れする。
母と同じ言動・行動の愛玩子・妹を見ていると(と言っても交流がほぼほぼないけど)、搾取子でなく愛玩子が毒親の跡を継ぐんだなぁって思う。
母のような毒親になる気概も希望もないけれど、立派な毒母に育てられた私は、毒親偏差値バリ高いはず。環境は、人を作るというしな。
母のようにはなれないけど、別種類の毒親になる可能性は高い。
毒親の存在がどれほど害悪であるか知っているので、これからも気を付けていきたい。
応援してもらえると、心強く生きられます。
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